寿福寺(鎌倉)/ Jufukuji Temple in Kamakura

「鎌倉五山」第三の寺「寿福寺」。北条政子、北条実朝の墓があります。

鎌倉神社仏閣巡り。約2か月以上ぶりです。2020年の9月、10月の週末の天気があまり良くなかったですからね。

前回までは、「鎌倉江ノ島七福神巡り」がテーマでした。

今回のテーマは、「鎌倉五山巡り」です。

■目次

  • 「鎌倉五山」とは
  • 「寿福寺」とは
  • 「寿福寺」の山門と参道
  • 寿福寺の本堂と鐘楼
  • 北条政子の墓、北条実朝の墓
  • 訪れた「鎌倉五山」

■「鎌倉五山」とは

五山制度は、中国から伝来され、禅宗で最も格式の高い5つの寺を示しています。鎌倉時代の後期に五山の指定が始まり、鎌倉時代に続く室町時代の三代将軍足利義満のときに、「京都五山」「鎌倉五山」の整備が完了しました。

京都の「南禅寺」は、別格扱いとされています。

京都五山」は、別格の「南禅寺」、それに続いて「天竜寺」「相国寺」「建仁寺」「東福寺」「万寿寺」になります。

一方、「鎌倉五山」は、「建長寺」「円覚寺」「寿福寺」「浄智寺」「浄妙寺」になります。

五山の僧たちは、中国文化の紹介や外交、貿易で活躍し、「五山文学」という漢詩文も著しました。水墨画、禅宗風庭園を発展させました。また、日明貿易で日本の使節として中国に渡ったりしています。

今回は、「鎌倉五山」の1つ「寿福寺」の紹介です。

■「寿福寺」とは

鎌倉駅西口を出て、鎌倉市役所前の交差点を右に曲がって道なりに650m(10分ほど)歩きます。途中、「銭洗弁財天」に行く道で多くの方が左に曲がりますが、まだ真っすぐ進むと、すぐ傍に、小町通りに行ける踏切が現れます。

ちょうどその左手に、「寿福寺」(Wiki)があります。

源頼朝が没した翌年、北条政子が明庵栄西を開山に招いて建立した鎌倉五山第三の寺です。寿福寺は源義朝邸宅跡に建てられた寺院であり、源家にとっては非常に重要な場所である。この寺には、北条政子と、その子供であり鎌倉幕府三大将軍である北条実朝の墓があります。実朝は、このお寺によく参拝したと言われています。

尚、栄西は、日本で初めて臨済宗を伝えた禅僧で、「喫茶養生記」を著し、お茶を飲む習慣を伝えたと言われています。

宗派:臨済宗建長寺派

山号寺号:亀谷山寿福金剛禅寺

建立:正治2年(1200年)

開山:明庵栄西

寿福寺 案内板 / Guide of Jufukuji temple

■「寿福寺」の山門と参道

秋のシーズンということもあり、紅葉が進んでいます。

鎌倉時代からの由緒あるお寺ということもあり、派手ではないが、かなり手入れされた山門周りと参道です。

鎌倉五山」の第三の寺ではありますが、観光客は、「小町通り」を通り、「鎌倉鶴岡八幡宮」、「建長寺」に流れていくため、この「寿福寺」は、裏通りとなるため観光客は非常に少ないです。

この日、11月1日(日)、天候に恵まれた七五三シーズンなので、「鎌倉鶴岡八幡宮」には、かなりの人が訪れていますが、ここ「寿福寺」は、途中自分の周囲には、数人居るか居ないかの参拝客数です。

寿福寺 山門 / Main Gate of Jufukuji temple
寿福寺 表参道 / Approach of Jufukuji temple

■寿福寺の本堂と鐘楼

本堂の境内には入ることができません。よって、手前の門から本堂を眺めることになります。

境内も綺麗に整備されています。目を引いたのは、本堂まで続く石畳です。この石畳にコケが付いているのですが、石ごとにコケの付き方が違っているので、日の当たり方で非常に色に変化が出て趣のある石畳に見えます。

寿福寺 / Jufukuji temple

中に入れないため、塀越しに鐘楼を眺めます。

寿福寺 鐘楼 / Bell tower of Jufukuji temple

■北条政子の墓、北条実朝の墓

寿福寺」に向かって左手に行き、塀(垣根)に沿って右に曲がり、突き当りを左に曲がります。すると、お墓が見えてきます。そこを左手にお墓を見ながら更に右に曲がり軽い坂を上ります。右手に民家が2軒あります。民家の切れたところを見切れに曲がって突き当りまで行くと、石壁に横穴を掘ったお墓「やぐら」が見えてきます。そこに、北条実朝北条政子の墓があります。

鎌倉には、所々、中世のお墓「やぐら」を見ることができます。「やぐら」周辺の石には、コケやシダが生えているので、非常に歴史を感じます。

北条政子の墓 / Tomb of Hojo Masako

北条政子は、源頼朝の妻で、源頼朝が旗揚げする際に、強いサポートをした北条家、北条時政の娘さんです。鎌倉征夷大将軍の頼朝が亡くなった後に、尼御台と呼ばれ法名を安養院とした。

源頼朝と北条政子の長男は、源頼家は2代征夷大将軍に就くものの、独裁政治で家臣からの評判が良くなく問題をよく起こした。源頼家が病気の時、北条家の策略で次男の源実朝が3代征夷大将軍に就くことになった。

それを知った頼家は反旗を翻すことになるが、暗殺されてしまう。源実朝は、北条家が執権で政治をするために、全く政治に関心を示さず歌詠みなとの遊びばかりをしていたと伝えらています。

その頼家の子供である公暁が、復讐を鎌倉鶴岡八幡宮で果たす。その時、公暁は、実朝の首を持ち去ったため、この「寿福寺」は、胴体の墓となっている。実朝の首は公暁殺害後、神奈川県秦野市の大聖山金剛寺の五輪塔に葬ったといわれており、御首塚と言われています。実朝満28歳、公暁が18歳の時。

その後、北条政子が政治の影の中心人物となっていきます。尼将軍と呼ばれていました。

北条実朝の墓 / Tomb of Hojo Sanetomo

■訪れた「鎌倉五山」

Ohtani Hisao

1967年生まれ。高校卒業まで大阪→名古屋→福岡→島根で生活。今は、神奈川県逗子市に在中。都内の会社に勤め、同居は、妻と子供2人(2020年時点 大学生)。無理をしない程度に、読書、映画、美術鑑賞、スポーツを楽しんでいます。特に2019年春からSUP(Standup Paddle Surfin)に奮闘中です。ブログで奮闘ぶり更新中です。

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