この日、新しいテーマ「鎌倉五山巡り」のために、「寿福寺」と、ここ「浄妙寺」に訪れた。
五山制度は、中国から伝来され、禅宗で最も格式の高い5つの寺を示しています。鎌倉時代の後期に五山の指定が始まり、鎌倉時代に続く室町時代の三代将軍足利義満のときに、「京都五山」「鎌倉五山」の整備が完了しました。
京都の「南禅寺」は、別格扱いとされています。
「京都五山」は、別格の「南禅寺」、それに続いて「天竜寺」「相国寺」「建仁寺」「東福寺」「万寿寺」になります。
一方、「鎌倉五山」は、「建長寺」「円覚寺」「寿福寺」「浄智寺」「浄妙寺」になります。
五山の僧たちは、中国文化の紹介や外交、貿易で活躍し、「五山文学」という漢詩文も著しました。水墨画、禅宗風庭園を発展させました。また、日明貿易で日本の使節として中国に渡ったりしています。
今回は、「鎌倉五山」の1つ「浄妙寺」の紹介です。
「浄妙寺」に行くには、鎌倉駅から金沢街道を徒歩で30分(2.4km)掛かります。それなり疲れますので、バスで行くことをお勧めします。京急バス金沢八景、太刀洗方面行きに乗車し「浄明寺」(この地域は、浄明寺といい「明」を使う)で下車です。歩く場合は、「鎌倉鶴岡八幡宮」まで行き、そこから右に曲がり、途中左、右に大きく曲がりますが、ひたすら大きな道に沿って歩きます。(私は途中パン屋さんと神社に寄りたいところがあったので往復歩きました)
源頼朝の忠臣で豪勇だった「足利義兼」が建立した、初めは「極楽寺」と称し、密教系の寺院だったそうです。
その後、建長寺開山の弟子である月峯了然が禅利に改め寺の名称も今の「浄妙寺」に1257年頃改めたそうです。
この寺に葬られている「足利貞氏」は、中興開基された方です。(一旦衰退したものの再び盛んにする)
開山の「退耕行勇」は、真言密教から「鎌倉鶴岡八幡宮」の供僧となり、この「浄妙寺」に招かれた。その後、栄西につき、臨済禅を修め、「寿福寺」に入っている。源頼朝、北条政子の信頼も強く、「所在の寺、海衆満堂」と言われ、源実朝のあつく帰依したと言われている。
尚、栄西は、日本で初めて臨済宗を伝えた禅僧で、「喫茶養生記」を著し、お茶を飲む習慣を伝えたと言われています。
宗派:臨済宗建長寺派
山号寺号:稲荷山
建立:文治4年(1188年)
開山:足利義兼、退耕行勇(開山)
「総門」までの上り階段は、最近造り直されたのか、非常にきれいいで、足が不自由な方でも参拝できるように手すりが両側に設置されています。
派手ではなく、非常に質素で清潔感のある佇まいです。
総門を潜ると、左側に拝観料を払う受付があります。大人100円です。
本殿に向きを変えると、目の前に、整備された日本庭園が広がります。まさに、1500年代の時代を象徴する「枯山水」の庭園です。杉苔と水を表す白い砂利、秋の紅葉で色づいた木々が何とも心を和ませてくれます。境内は梅、つばき、ぼたん、サルスベリ、いちょう、紅葉などの名所として知られています。
本堂までの約40~50m枯山水は続きます。
本殿から総門の方を見た写真です。
「浄妙寺」の本堂です。
庭園もそうですが、本堂も整然とシンプルなシンメトリーの綺麗な佇まい。「鎌倉五山」の1つだけのことはあります。
右に少し見えるのが、客殿。
お参り後、左手に行くと、抹茶を喫することができる喜泉庵があります。この日、結構歩いたので、休憩を考えたのですが、帰りの時間が気になり見送りました。抹茶を楽しむ人だけの特権で、枯山水の庭園を正面から楽しむことができます。
「足利貞氏」(あしかがさだうじ)という名前は、それほど有名ではありませんが、鎌倉幕府を討幕し、室町幕府の初代征夷大将軍になった「足利尊氏」(あしかがたかうじ)は有名。この足利尊氏の父親が、「足利貞氏」です。先にも触れましたが、「足利貞氏」は、一旦衰え掛けたこの寺を再度盛り上げた功労者です。
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