杉本寺(鎌倉)/ Sugimoto Temple in Kamakura
奈良時代からの「鎌倉最古の寺」、運慶の仁王像も見られる「杉本寺」、苔の階段に歴史を感じます。
「鎌倉五山巡り」が主な目的で、「鎌倉駅」→「八坂大神」→「寿福寺(鎌倉五山)」→「杉本寺」→「浄妙寺(鎌倉五山)」→「報国寺」→「鎌倉駅」を回りました。
この中で、たまたま前を通ったので立ち寄ったお寺がこの「杉本寺」。ですので、まったく前情報なく参道の階段を上り始め、更に上っていく。
すると、後方から誰か叫ぶ声がしている。その時、音楽を聴きながら登っていたのでまさか自分に声が掛かっているとも気づかない。が、周囲には誰も居ないのでひょっとして自分ではないかと思い、振り返って階段下をみると、拝観料を払う受付から受付の方がこちらを見ていた。
「あっ」と思い下りて、拝観料300円を支払った。受付の方からは、「前を通った時にお声を掛けられず申し訳ありません」とご丁寧に謝られた。「こちらこそ、気づかずすみません」と。「人も多くなく、提灯も出ており、いい写真がと撮れますよ」と説明を頂いた。
さて、お参りです。
■目次
- 杉本寺とは
- 杉本寺の参道
- 杉本寺の運慶作「仁王尊」と仁王門
- 杉本寺 苔の階段
- 杉本寺の本堂(観音堂)
- 杉本寺 鐘楼と熊野大権現、白山大権現
■杉本寺とは
「杉本寺」(HP)(Wiki)は、「天平六年に創建された鎌倉最古の寺」と言われています。天平6年、つまり734年、奈良時代です。
鎌倉時代が1192年(今は1183年、1185年とも言われていますが)からですので、平安時代の400年を丸ごとスキップするほど昔です。「奈良時代か~」「聖徳太子か~」と感慨深くなってしまいます。もっとも聖徳太子は、622年没と言われているので、100年以上前に亡くなられているのですが。。。
ここに安置されている「十一面観世音」は3体あり、光明皇后の御願により大臣藤原房前と僧行基に命じ堂宇建立、その際、1)行基菩薩が刻み、2)その後851年に慈覚大師円仁が刻み、3)986年恵心僧都源信が刻んだと言われている。
また「坂東第一番の札所」と定め、花山法皇自ら御巡礼されたとされている。その後も、貴賤の巡礼が絶えなかったそうです。
文治5年(1189年)隣家の火事の際、3体とも大杉の下で難を逃れたので「杉の本の観音」と呼ばれていたそうです。
その後、建久2年(1191年)源頼朝が良い前兆にすがった際に、上記の「十一面観世音」を内陣に安置し、その代わりに「十一面観世音」の立像(七尺=2.12m)を寄進したそうです。
昔の「十一面観世音」3体は、「秘仏本尊三尊同殿」と言われ奥に安置されているので普段は見ることはできませんが、毎月1日と18日に開帳が行われるそうです。頼朝寄進の「十一面観世音」は、「本尊前立」として本堂正面で拝むことができます。
宗派:天台宗
山号寺号:大蔵山
建立:天平6年(734年)
開山:行基
本尊:十一面観世音
■杉本寺の参道
■杉本寺の運慶作「仁王尊」と仁王門
歴史の教科書、美術の教科書で登場する、鎌倉時代の初期に大人気を誇った仏師である運慶と快慶。もっとも有名なのが、「東大寺南大門の金剛力士像」です。
彼らが活躍したのは、1150〜1200年頃と言われています。1180年に東大寺が全焼、その後、1185年に大仏が、1195年には大仏殿が完成します。東大寺南大門の再建が1203年から行われ、この時、重源師匠の下、運慶・快慶や活躍したそうです。
運慶は、力強い作風で、快慶は、比較的柔らかい作風と言われています。鎌倉時代は、武士の時代。力強い運慶が特に人気を博したようです。
東大寺ではなく、ここ鎌倉の「杉本寺」で、真直に運慶の「仁王像」を見られるなんて素敵ではないでしょうか。
■杉本寺 苔の階段
鎌倉石の石段は、苔がびっしりと生えており、階段自体歴史を感じさせます。この苔の階段は、すり減っていて通行禁止になっていますので、この階段に左手の階段で、本堂横まで上ります。
本堂前から、鎌倉石の階段を見下ろした絵です。
■杉本寺の本堂(観音堂)
仁王門と本堂の屋根は、茅葺屋根です。古からこの姿を守り続けているとのことです。茅葺屋根の堂は、鎌倉にもほとんどなく、「鎌倉最古の寺」と言われることにふさわしい伝統です。
ところが、最近は、20年ごとに張り替えていた茅葺が、温暖化などの気候の変化で、10年毎になってきたとのことで、気候変動は色々なところに悪影響を生んでいますね。
さて、この本堂にて、頼朝寄進の「十一面観世音」を拝むことができます。
源頼朝が不慮の落馬で命を絶ったことは有名な話ですが、それと関連してかは不明なのですが、このお寺は、「下馬観音」と言われていたそうです。
礼を欠き、信心なくして馬で寺の前を馬に乗って通り過ぎる者は必ず落馬するという言い伝えがあったためです。
そこで、建長寺開山である大覚禅師が祈願し自らの袈裟で行基菩薩が彫られた十一面観音様のお顔を覆って「覆面観音」とし、それ以後落馬する者がなくなったということです。
この本堂(観音堂)には非常に多くの像が安置されています。「仁王門」の「仁王」もそうですが、運慶作、快慶昨と歴史の教科書に出てくる方の作品を見ることができます。
■杉本寺 鐘楼と熊野大権現、白山大権現
本堂に向かって右手に「鐘楼」があります。鐘は、いつからの物だろう(奈良時代?)と思いをはせてしまいます。
「権現堂」とは、広辞苑では「仏・菩薩が衆生(しゅじょう)を救うために種々の姿をとって権(かり)に現れること。また、その現れた権の姿。仏が化身して日本の神として現れること。熊野三所権現・山王権現の類」(一部中略)とあります。ここ「杉本寺」の場合、「十一面観世音」が祀られているのでWikiで確認してみた。
「熊野三所権現」の社殿は「中四社」>「五所王子」>「第四殿」>「若宮」、祭神は「天照大神(若女一王子)」、本地仏は「十一面観音」と書かれてあった。
「白山大権現」は、「三所権現」、旧称「白山妙理権現」、本地「十一面観音菩薩」とされている。
なるほどなるほど。
今回、不勉強だったため「地蔵尊」「弁天堂」「福寿庵」「五輪塔」、それと裏山にあると言われる「杉本城跡」に行くことができなかった。毎年、新年に自転車でこの「杉本寺」の前を通っているので、次回、機会があれば再度寄ってみようと思います。
この記事へのコメント