余りにもいい天気のため、どこかに出かけようと思い、サイクリングを兼ねてふらっと家を出て、逗子の小坪漁港に行った。漁港の沖では、SUP(Standup Paddle)で波乗り、クルージングを楽しんている人や、更に沖では、ヨットを楽しんでいる人たちが散見された。
小坪漁港の魚屋で、鰆の刺身としらす干しを購入。この辺で、家に戻ってもいいのだけれど、Web検索で、「大本山光明寺」が材木座辺りにあるので、もう少しサイクリングを楽しむことにした。
小坪のマンションを見ながらトンネルを抜けて材木座へ。
「光明寺」(HP)(Wiki)は、天照山蓮華院光明寺と言い、鎌倉の材木座にある浄土宗(法然が宗祖)の大本山です。
「光明寺」は、材木座にありますので鎌倉駅から約2km、徒歩で25分弱なので、ちょっと遠めです。
開山は浄土宗三祖然阿良忠。この良忠上人は、島根県の石見国、現在の那賀郡三隅町生まれの方で、浄土宗の三祖までなられた方です。私も、島根の石見地方出身なので非常に縁を感じます。
良忠上人は、浄土宗を深く学び、多くの書を残され、89歳で世を去った後、伏見天皇より「記主禅師」の謚号を賜ったそうです。
開基は鎌倉幕府第四代の執権北条経時。その後、後土御門天皇より『関東総本山』の称号を受け、徳川家康公は、「光明寺」を関東十八檀林(学問所)の筆頭におき、念仏信仰と仏教研鑽の根本道場となったそうで、かなり名のあるお寺らしいです。
また、「光明寺」は、浄土宗の「お十夜」発祥(1495年)の寺で、毎年十月十二日より十五日までの四日間盛大な法要が執り行われることで有名です。
宗派:浄土宗鎮西派
山号寺号:天照山
建立:寛元元年1243年 鎌倉時代
開山:然阿良忠上人
開基:北条経時
中興開山(室町時代):祐崇上人
本尊:阿弥陀如来
山門かと思いきや、大きな山門は、更にその先にあることが分かりました。この「総門」は、明応4年(1495年)建立されたものです。上部構造は桃山時代の様式になっています。まず「総門」を抜けます。
その門を抜けると、壮大な山門が現れます。今の山門は弘化四年の再築のものですが、大額には、当時(1436年)後花園天皇より下賜されたご宸筆「天照山」が書かれています。この再築の門は、鶴岡八幡宮から移築られたそうです。
山門を抜けると、広い境内が広がります。桜の木が所々にありますので、桜の時期にはまた違った美しさがあると思います。
しかし、この時期には、紅葉が映えていて、本堂の裏山では、赤や黄色の色づいた葉が秋に楽しめます。後で触れますが、ここ「光明寺」の庭は非常に見応えがあります。
境内の右手に鐘楼が見えます。総ケヤキ瓦葺きの鐘楼堂は1848年(江戸時代 弘化四年)建造。鐘は、1961年(昭和36年)に鋳造されたもの。重量三百貫。
「光明寺」の大殿、本堂です。
現存する木造の古建築では鎌倉一の大堂で、本尊阿弥陀三尊ほか諸仏を祀っているそうで国指定の重要文化財になっています。
今回は、改修工事のため拝謁できませんでしたが、大殿右檀には、善導大師等身大立像と弁財天像が安置されている。善導像は、三祖然阿良忠が以前福岡で仕えた二祖聖光上人より拝受の像と伝えられ、弁財天は以前の江ノ島弁天と伝えられています。
左檀上には、如意輪観音像と宗祖法然上人像が安置されています。
開山良忠上人が佐介で助けた子狐の親狐が枕元に薬種を置いて行った。この薬種のお掛けで、疫病から人々を救うことができたということで、佐介稲荷を勧請して奉安したとのこと。
「善導大師像」が、本堂と開山堂の間の回廊前にあります。善導大師は、中国唐代の人で浄土念仏の高祖です。法然上人、三祖良忠上人もまた帰依したそうです。
開山良忠上人をはじめ歴代法主の御影を祀っている堂です。関東大震災で被害を受けその翌年大正13年、そして平成14年に改築されています。
令和2年2月より大殿(本堂)が改築に入ったため、そこにあった阿弥陀如来および諸尊像が、仮本堂として開山堂に祀られており参拝出来ます。
手前に池があり、右手に「記主庭園」があります。その向こうに「大聖閣」があります。左手に見えるのは、「書院」です。
池には、蓮が非常に多くありますので、7月頃だと見頃だったかもしれません。
庭園も綺麗に整理されていて、この時期の紅葉と相まって非常に良い雰囲気です。
この「大聖閣」は、宗祖法然上人800年大御忌を期して建てられたとのこと。お堂の二階には阿弥陀三尊が安置され、回廊よりその尊顔を拝すことが出来るそうです。
裏庭の「天照山」には、「北条経時公墓」と「開山良忠上人御廟」があったようですが、その時点で気づかずいけませんでした。