葛原岡神社(鎌倉)/ Kuzuharaoka Shrine in Kamakura

明治天皇が神にした日野俊基を奉った葛原岡神社。縁結びの神として若い女性に人気のパワースポット。

鎌倉「源氏山公園」傍に、「葛原岡神社」があります。

今まで、意識したことがなく、いつも「銭洗弁財天 宇賀福神社」までしか来たことがなく、一度だけ「源氏山公園」まで行ったことがあったが、お参りした記憶もないです。

そんな「葛原岡神社」ですが、行ってみると、若い女性に人気のあるスポットだと分かりました。

■目次

  • 「葛原岡神社」とは
  • 葛原岡神社 石鳥居と魔去ル石
  • 葛原岡神社 縁結び石と手水舎
  • 葛原岡神社 本殿と昇運の神龍
  • 葛原岡神社 合鎚稲荷社
  • 日野俊基の墓所
  • まとめ

「葛原岡神社」とは

葛原岡神社」(くずはらおかじんじゃ)(HP)は後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府倒幕に活躍した日野俊基(ひのとしもと)卿をお祀りする神社とのことです。

悪政が続く鎌倉幕府を憂い、討幕するために、後醍醐天皇が計画を練るものの鎌倉幕府にばれ、日野俊基は囚われましたが、万里小路宣房を派遣し、とりなしたために日野俊基は京都に戻れました。

その後も討幕策を練り、楠木正成を取り込みますが、またもばれて、日野俊基は2度目の鎌倉送り。1332年、葛原岡の地で殺されます。その1年後、鎌倉幕府は討幕されます。

後、明治天皇によって明治維新の先駆けとして日野俊基は見いだされ、明治17年従三位、同20年にここ葛原岡に俊基卿を御祭神として神社を創建したとのことです。

日野俊基は、「建武の中興」への道を開かれたことから「開運の神様」、また文章博士として優れた能力発揮されたことから「学問の神様」として広く崇敬されている。

葛原岡神社 鳥居と魔去ル石

葛原岡神社 石鳥居と魔去ル石(右端)/ Torii of Kuzuharaoka Shrine

銀杏の木に挟まれるように、石の鳥居があります。石で出来ているのが特徴です。その右手に「魔去ル石」があります。初穂料100円で、盃を購入し、この石に、自分にある魔が去るように願をかけて、思いっきり投げ割ることで幸せを呼び込みます。案内板には、『「魔が去る」転じて「勝る」とあり幸せを勝ち取る石』と記されています。

縁結び石と手水舎

葛原岡神社 縁結び石 / Matchmaking Stone in Kuzuharaoka Shrine

鳥居を潜ると、左手に「縁結び石」があります。向かって左手に「女石」、右手に「男石」。2つの岩には綱が掛けられており縁の綱を渡しているようです。そこに、赤い紐が無数に結び付けられています。

この赤い紐は、「縁結び守」を購入した人に渡し、それぞれの目的に合わせて赤い紐を結びつけるようです。

  • 男性で、良縁、縁結びに願いを掛ける人は、左の「女石」の綱に結ぶ。
  • 女性で、良縁、縁結びに願いを掛ける人は、右の「男石」の綱に結ぶ。
  • 人間関係などの絆結びに願いを掛ける人は、橋渡し部分の綱に結ぶ。

友達、仕事関係などは、橋渡し部分なので、必ずしも恋愛に限っているわけではないのですね。

この石の後ろには、絵馬ならぬ、ハート型の願札がびっしりと掛けられています。

葛原岡神社 手水舎/ Temizuya to purify in Kuzuharaoka Shrine

更に進むと、手水舎がありますが、現在は、お水は出ておりますが、コロナのため柄杓は撤去しているとのこと。

葛原岡神社 本殿と昇運の神龍

本殿に向かう途中、右手に石碑があります。「鎌倉に 雪降る 離乃 別れかな」(宮下翠舟)石碑があります。翠舟は、鎌倉に住み、嫁いだ娘と日野俊基の一生を重ね併せ読んだ句とされています。昭和から平成の俳人です。

葛原岡神社 本殿 / Main Hall of Kuzuharaoka Shrine

本殿です。女性が2人願掛けをしています。

昇運の神龍 / Dragon for Good fortune

本殿に横にある「昇運の神龍」では、「ひとこと願い串200円」「昇龍祈願絵馬500円」に願い事を書いて、左右の絵馬掛けに結びつけます。「縁結び」、日野俊基氏にあやかり「開運」「学問」でもOKのようです。

葛原岡神社 合鎚稲荷社

合鎚稲荷社 鳥居 / Torii of Aizuchi Inari Shrine

合鎚稲荷社」が併設されています。

どういう所縁だろうと調べてみると、鎌倉時代の刀工であった五郎入道正宗の子孫が、北条氏綱から鎌倉に土地を与えられた際の屋敷跡があった場所とのこと。その屋敷跡に大正時代に建てられたのが、この「合鎚稲荷社」とのことです。他の場所から移設されたという話もあります。

「合鎚」(あいづち)とは、「二人の鍛冶職人が交互に槌(つち)を打ち合わすことに由来し、それが転じて、相手の問いに答えるという意味や相手の話に合わせるという意味」。

合鎚稲荷社 / Aizuchi Inari Shrine

日野俊基の墓所

日野俊基の説明 / Guide for Hino Toshimoto

石碑には、『古来より「死もなく生もない」という言葉がある。
自分も精一杯頑張ったが、残念ながら、万里の果てに雲が尽きる様に、今は万策尽き果て、この様な結末となったが、理想の為に力尽きたのだから、生や死はもはや問題ではなく、少しの恨みもない。
今は、長江の水が清らかな如く、自分の心は一点のけがれもなく、さわやかである。』と記されています。

日野俊基の墓所 / Tomb of Hino Toshimoto

まとめ

境内全体としては、広くはないのですが、「開運の神様」から「縁結び」「昇進、出世」、「学問の神様」など色々な要素を取り入れた神社でした。季節柄、木々も邪魔することなく見通しが良かったです。鎌倉幕府討幕に身を捧げ寄与した日野俊基を神様とした「葛原岡神社」と、鎌倉武士のために刀鍛冶、五郎入道正宗にちなんだ「合鎚稲荷社」が併設されているのは、非常に妙な感じでした。

更に妙なのが、「葛原岡神社」が「源頼朝像」がある源氏山の高台にあるのですが、「鎌倉幕府」初代将軍源頼朝と、鎌倉幕府討幕に一生を捧げた日野俊基が近くにあるのも面白いですね。源頼朝が描いた武家の世の中と、衰退前の鎌倉幕府に大きな乖離があったのだと思いますが。

源頼朝像 源氏山 / Minamotono Yoritomo Statue in Genji Yama

話は変わって、源氏山は、非常に気持ちのいい場所です。ここから、北鎌倉に抜ける「葛原ガ岡ハイキングコース」があります。結構、アップダウンの激しい場所もある山道です。(この日は、明月院から浄智寺の横を通って、このハイキングコースで葛原岡神社にきました。)

■鎌倉の商品

飲んだことないけど今後飲み比べてみたい鎌倉地ビール

お土産で、不動の人気を誇る鎌倉と言えば「鳩サブレ―」。

このレーズンサンドはおいしいです。

Ohtani Hisao

1967年生まれ。高校卒業まで大阪→名古屋→福岡→島根で生活。今は、神奈川県逗子市に在中。都内の会社に勤め、同居は、妻と子供2人(2020年時点 大学生)。無理をしない程度に、読書、映画、美術鑑賞、スポーツを楽しんでいます。特に2019年春からSUP(Standup Paddle Surfin)に奮闘中です。ブログで奮闘ぶり更新中です。

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