この日、北鎌倉の「明月院」→「葛原ガ岡ハイキングコース」→「葛原岡神社」→「銭洗弁財天 宇賀福神社」→「佐助稲荷神社」を回りました。
「佐助稲荷神社」は、「銭洗弁財天 宇賀福神社」に来るたびに、気になってはいたのですが、足を運ぶことはありませんでした。
今回は、一人気ままに自分のペースで回れるのでちょっと寄ってみることにしました。「佐助稲荷神社」に向かいながらWebの情報をさっと見てみると、非常に多くの朱色の鳥居が並び、また、拝殿、本殿が苔生し非常に趣のある場所だと思って歩みを進めました。
「佐助稲荷神社」(HP)(Wiki)は、平安時代の末期、平治の乱(1160)で敗れた源義朝は殺され、その子、幼い源頼朝は、平清盛の母の慈悲で伊豆に配流される。
その後、源頼朝の夢で、三日三晩稲荷の神霊翁が、平家討伐の挙兵を促したと言われる。そして挙兵し、念願の平家討伐が叶う。
討伐後、この「佐介ガ谷隠里」を霊地として社殿を作らせたのが始まり。
元々、源頼朝は、幼名が、「佐(すけ)殿」と呼ばれていた。その「佐殿」が助けられたということで「佐助」と稲荷神社の名前が付けられたと言われている。
開山は、良忠上人。彼が、子狐を助けたお礼に薬草の種子をもらい、その薬草のお陰で多くの人を助けたことがら、願をかけ白狐が供えられています。
「佐助稲荷神社」は、永く鶴岡八幡宮の境外末社でしたが、明治42年(1909年)に独立した社となったようです。
今では、「佐助稲荷神社」は、源頼朝を出世させたことから「出世稲荷」と呼ばれ信仰を集め、受験生、就活生、起業家などが多く参拝に訪れる。また、朱の赤鳥居が多く立ち並んでいるため、インスタ映えするということで、学生など若者にも非常に人気のスポットになっているそうです。
建創:1190年-1199年)
社格:無格社
開山:良忠上人
主祭神:
菩薩:十一面観世音菩薩(赤松幸運が彫った 5月18日開帳)縁結び
閑静な住宅街を通っていくと、「佐助稲荷神社」の社合標石が見えます。何やら、小さい白狐人形が4体置いてあります。稲荷神社なので、そう狐ですね。更に先に、赤い鳥居がみえますので向かいます。
思ったより、鳥居が幾重にもあります。確かに、若者に人気のスポットになりますね。さて、鳥居を通ります。
10秒くらい歩きましたが、まだまだ先がありそうです。
所々に、狐の像が出迎えてくれます。
30秒くらい歩いて、ようやく終わりが見えてきました。今までは、なだらかな階段でしたが、最後はきつめの階段です。
コロナ禍で、利用できませんが、手水舎が右手にあります。ここでも、狐のお出迎えです。
さて、苔生した拝殿、本殿と思いきや、すごくきれいな建物が建っています。「あれ?」ん~ちょっと考えました。一瞬、狐に騙されたのかと思ったり(笑)。
帰宅後、ネットを見て分かったのですが、2019年10月12日の台風19号で、甚大な被害をあったようで、本殿、拝殿、社務の建て替えをしているとのことです。
で、今、前にあるのが、「拝殿」です。(写真は撮っていないのですが、「拝殿」の右手には、新しい社務があります)
下の写真が被害を受ける前の拝殿です。(Wiki掲載の写真より)
拝殿の裏手に廻ると、更に急な階段があります。この上に、本殿があります。
こちらも、下の写真のような本殿の姿はなく、新しく着工する前の様子です。一応お願いごとをしました。非常に多くの白狐が飾られています。
新しい本殿は、2020年に完成の予定だったのですが、多分、このコロナの影響で、着工が遅れていると思われます。次回来た時には、新しい本殿を見られるかもしれません。
拝殿の前の様子。
拝殿の左手に行くと、鳥居があります。
古い稲荷群の場所です。ここは、元々どうなっていたのか分からないのですが、多分、建物があったのではないでしょうか?
今は、苔生した石の上に、白狐が所せましと鎮座しています。
以前から気になっていた「佐助稲荷神社」にようやく参拝が出来ました。
台風19号の被害の件は、全く知りませんでした。よって、直前のインプット情報と、目の前に現れた社殿の違いに、一瞬混乱しましたが、事情を知って合点がいきました。被害以前の社殿をお参りできなかったのは残念ですが、自然の驚異も感じた出来事でした。コロナで、なかなか建造が予定通り進んでいないようですが、早く立派な社殿が揃うと良いですね。
それにしても、朱の鳥居は、思ったより長く、通り応えがありました。
次回参拝時には、また違った「佐助稲荷神社」を見ることができると思うと、ちょっと楽しみです。今回見なかった「霊狐泉」「十一面観世音菩薩」「祠」も次回ということで。