2023年9月15日~20日の5泊6日で熊野古道 中辺路を巡って来た。
その5泊6日の内容を、以下の内容に分けて公開予定です。なかなか気になっても足を運ばない、運べない「熊野古道」の話なので、興味津々、疑似体験していただいたり、今後の熊野古道への旅行の参考にしていただければ幸いです。
公開済です。
16日~20日帰路に着くまでに歩いた距離(歩くことを意識していないときは距離測定はしていない)は、89.9㎞。16日~18日は朝7時から8時に出発して、14時半から16時半まで休憩は道中の水分補給と昼食15分くらい。ひたすら歩き続ける。なぜなら、その先でどんな不測の事態が待っているか分からないので暮れる前に確実に目的地にたどり着くために早め早めに足を進めていました。
15日自宅~20日自宅までの総歩数は、なんと、147,105歩でした。一日平均24,517歩でした。
熊野古道というくらいだから熊に遭遇する可能性が高いのかと思いきや、熊には全く遭わず。それどころか、鹿、猪、狸などの野生動物にも遭わず仕舞いでした。
古道を歩く人が多ければ、動物は寄り付かないと思いはするが、数時間全く人に遭わず、聞こえる音は、自分の息する呼吸音とストックで地面をつく音、木々の葉の揺れるわずかな音、高度が低いところは、鳥のさえずりやセミの鳴き声はしていたが、ほぼそれ以外の音は聞こえない状況。そういう中で、何か動物が飛び出してくるとかなりのショックなので、可能な範囲で神経を尖らせておくのでそれなりに神経は使いました。
熊の情報としては、ここ数年目撃情報さえもほぼ無い状況らしい。Webの情報でもそうだし、継桜手前の民宿のご夫婦に聞いても、随分と昔、この辺で子熊を見かけたという目撃情報が1件あったのみとのこと。このご夫婦も日と伝えに聞いたとのこと。
この数年前の目撃情報から、実は、この民宿の100m手前~100m先の間に「熊出没注意」の看板が立てられていて、さすがに看板を見たときは周囲を見渡したくらいです(笑)。ご夫婦の話は、その後聞いたので、翌日は平気でしたが、まあ出てきてもおかしくない雰囲気は常にあります。
途中、山の中の古道で稀に出くわす人達は合計20人前後(しかいない)でしたが、鈴を鳴らしている人は、3~4人くらいで、日本人だけだった。海外の人は、熊鈴は誰もつけていなかったです。
準備の段階で、人から「持って行った方がいいよ」と言われたので、つい保険で購入しましたが、一度も鳴らすことはなかったです。
上述で16日~18日の熊野古道で会った人たちは、20人くらいでした。
まず、16日は、前半古道をいかにも歩いてそうな人は誰にも遭わない。半分過ぎたところで、朝コンビニで購入したおにぎり2個と前日の八百屋で購入した青切りみかんを食べて、食べ終わる頃に、目の前を通りすぎる30歳前後の夫婦とその旦那さんが背負子で子供を背負っていました。身支度して歩き始めると彼らの後ろ姿が見え、次第に近づいてきます。鮎川王子で追いつき、簡単な挨拶をしたところで、彼らが先にスタート。5分くらい間を空けて私もスタートし、再度追いつき道を双方で確認しあって、私が先にスタート。かなりの急な登坂なので彼らも無理せずです。私が道で悩んでいる追いつかれそこから並行して会話しながら進む。彼らは、千葉県からやってきて1歳半のお嬢さんが背負子でぐっすり。二人で何か運動と思って一念発起で熊野古道に来たらしい。その後、私が先行して滝尻王子まで着いて、宿の横で涼みながら休んでいると1時間後くらいのちに3人が元気にたどりついた。これからバスで紀伊田辺まで戻るらしい。さすがに、背負子で、山歩きは無理だよね。
翌日17日は、すぐ未舗装の急な上り坂で、シニアご夫婦が熊鈴をつけて登っていましたが、追いついて追い越しました。あいさつ程度で特に話はしなかった。
そこからは、高原熊野神社までに海外の方2人、日本人2人とすれ違う。南米の方3人も追い越した。昼食を民宿で受け取ったお弁当を一人で食し、そこからも、ハイキングしている近所のおばさん2人と立ち話、ランニングしている人別々の男女もいた。アメリカ出身の女性2人に追いついたときに「暑いね~」「陽に焼けるね」と会話。その後日本人の女性に追い抜かれる。
18日は、ニュージーランドの女性2人、オーストラリアのご夫婦、同じくオーストラリア女性2人、スイスからハネムーンで来ている若い元気のいいカップル。熊野古道をガイドする日本人女性一人、バスで途中まで来たと言っていた30中くらいの日本人女性2人、日本人男性2人。特に、オーストラリア女性は、迂回路で道を譲りあって前後すること数回あり会話したり、オーストラリアご夫婦は、この迂回路前から会って、挨拶した後、私の後ろにぴったり着いて「煽っている?」と聞かれ「心強いよ」と返したり、迂回路前では少し離れたのだけど、頂上でちょっと休憩していると追いついて来られ、「頂上気持ちいいね」と話て、私が単独で進み、昼食で休んだ休憩所から出るときに、ご夫婦が入って来た「また会ったね」と会話。もう一度会うかもと思い、「See you AGAIN!」と言って別れたが、夜の旅館でばったり(笑)。「ほら、言った通り!」と会話。翌日のバスも同じになりバスを待っている間、会話を楽しんだ。彼らは、熊野本宮~那智までの間も歩くとのことで、バスから降りた後、私の席の横まで来て、二人が手を振ってくれた。楽しいひと時だった。
熊野古道、外国の人が圧倒的に多かった。民宿の方に聞いても、8割くらいは外国の方と言っていたから、出会った人の割合も感覚的にはそんな感じだったと思う。上り下りしている間、基本、ずっと寡黙になっているので、たまに会話でコミュニケーションできると嬉しくなってくる。英語ばかりだけど。。。
15日、当初の予定は宿泊先のある紀伊田辺での下車だったが、午後の時間を有効に使うために白浜まで乗り続けた。追加料金200円くらい払った。そこからバスで、「崎の湯温泉」に移動。3時頃なので、さすがにお腹がすいて、白浜の海が見える喫茶店「」で、期間限定クラフトビールとカレーを注文。カレーは、オリジナルのカレーで、甘味とトマト酸味がある味付けだった。ビールも非常においしかった。
時間があれば白良浜散歩を考えたが、バスが2分後だったので、バス優先(次が30分後)で紀伊田辺に移動。駅からホテルまで商店街を歩き、八百屋で青切りみかんを購入。一袋300円で小ぶりだが15個くらい入っている。歩きながら晩御飯で利用するお店を物色。様々なお店があったが「旬菜台所ぽいんと」というお店が美味しそう。初日の宿泊場所「ホテル紀伊田辺」にチェックインし少し休憩し、5時半過ぎに「旬菜台所ぽいんと」」に入店。非常にこじんまりとして1階は、テーブル2つとカウンター4人分、恐らく2階にもお座敷席があるように思われた。店員さんの対応も非常にテンポよく気持ちよかった。
ホテルに戻り、みかんを5~6個食べ、明日の高山寺の方向にぶらぶら歩き、ファミマで白くまアイスを購入。普段購入しないけど、旅先はつい贅沢なアイスを食べてしまう。。。。
16日は、ホテル提供の朝食を摂る。ホテルを出て昨晩のファミマでおにぎりを2つと飲料を購入。昼におにぎりとみかんを3個食す。みかんの甘酸っぱさが実は最高に良かった。
実は、酸っぱさ期待の「男梅キャンディー」と栄養目的の「たたかうマヌカハニー」のど飴も持ってきたが、熊野古道中実は、2個ずつしか食べずに、ほぼお持ち帰り。汗かきながら長距離歩いていると、水分補給は積極的に行いたいが、飴をなめるのはどうも気が進まなかった。逆に喉が乾いてしまうためなのか、口にしなかったなぁ~。
ゼリー状の栄養補給剤は、3個持って行って、これは、有効だった。喉越しがよく、味がうっすらマスカットで、さっぱり感もありもっと持ってきても良かったかもしれない。
栄養ドリンクは、「キューピーコーワαドリンク」も3本も持って行ったが、古道歩き中は1本のみ飲んで、最後の日に2本目を飲んで、残り1本は持って帰った。これも、味が濃くて歩き中には飲みたいとは思わなかった。
飲み物も、1日500mlを3本~4本飲んでいた。一番、良かったのは、経口水で味が薄くて吸収が良いドリンク、次はお茶でした。水は、味気が無さ過ぎて飲んでいて満足感が得られなかった。予想外にダメだったのは、ポカリスウェット、アクエリアスなどのスポーツ飲料。これも味が濃すぎて抵抗を感じました。
2日目は、滝尻王子のすぐ横にある「古道の杜 あんちゃん」にお世話になった。50歳代のオーナーがご自宅の空き部屋を提供しているのか?本当に民宿です。隣にお店があり、飲み物や、オーナーが作った梅(昔梅農家だったらしい)、みかん、お土産が売られていた。到着直後にビールとソフトクリームを食す。また、鮎釣りの権利販売もしているようで、夕方や朝早くから渓流釣りの方がお店にやってきていた。4組くらいが泊まれるようでしたが、埼玉県から来ている10歳年上の方と、夜、朝食を一緒に摂った。夜は、様々なおかずが入ったお弁当と、その日、目の前の川で釣れた鮎の塩焼き、茄子の煮つけを頂いた。お弁当には、赤飯(せきはんではなくあかめし)が入っていた。昔、親が珍しいからと言って食べさせてくれた記憶がある。当時、古代米とも聞いたことがある。
朝は、食パン、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、バナナがワンプレート。豪快です(笑)。おかわり自由のコーヒーを頂いた。昨日、足が相当痛いと私が言っていたので、「もし途中で厳しくなったら、ここ(名刺)に電話して。ここから先、いきなり急な坂だから、無理せず、ゆっくりゆっくり歩くように心がければ、きちんと目的地着くから、とにかくゆっくりね」と優しい言葉を頂いた。この名刺、非常に心強かったです。昼のお弁当を受け取り出発。
3日目は、古道の小さな休憩所ロッジで、薄暗い中、一人でランチ。でも、ご飯食べると元気が出るね。
3日目の宿は、「ひととき」という民宿。実は、場所をはっきり調べていなくて、継桜付近とだけ把握していた。歩いていると「熊出没注意」という看板が目に飛び込んできて、「えっつ、マジ」とぎょっとし、周囲を気にしながら歩いていると、この「ひととき」の暖簾が目に飛び込んできて、いったん通り過ぎたのだが、もしかしてと、メールで宿の名前を確認して玄関に入った。3時10分くらい。「大谷さんですね」と初老のご夫婦とお手伝いさん3人が暖かく迎えてくれた。普段は、大阪に住まれていて、奥さんのご実家を旦那さんが改築して3月から民宿を始めたとのこと。奥さんは、骨折されていて、お友達の方がお手伝いにやって来ているとのことでした。到着するなりアイスコーヒーを頂き、気持ちが落ち着きました。その後、お風呂に入らせていただき、皆さんと色々会話してすっかりなじんでしまいました。
夕食は、お手伝いさんがこれでもかと品数を作られ、本当に出来立てで、おいしく、天婦羅も最高でした。豚ステーキもソースが美味しくてレシピ聞くのを忘れたのが後悔です。。。。アルコール含めて飲み物はフリーで、9時過ぎまでオーナーと話、竹中工務店で監督をされていたので、実際に建物の作業がしたくてその思いと老後の趣味兼ねて改築をされているらしい。民宿始めたのも、古道を通る海外の方が、トイレに入って来たり、有料で飲み物用意していると飲み物飲みに休憩しに上がって来たりで、宿にしたらいいよとの声にこたえる形で始めたらしい。8割は外国の方とのこと。会話は、スマホのアプリでできると言っていた。2組x3人が最大で、この日は、私一人だった。
4日目は、あいにくの雨、手作りお弁当を受け取り心配されながら出発。この日は、舗装道路の横にあるロッジ休憩所で昼食。ロッジに入った時に、40代の女性が二人、途中までバスで来て、そこから古道を歩いていると言っていた。食べていると、朝、追い越した際に挨拶した40代の女性一人が入ってきて、少し会話。紀伊田辺に住まいの熊野古道ガイドのお仕事をされているということで、仕事で歩いているとのこと。「この先は、下り坂ですが、滑落して亡くなった方が居るので十分気を付けてください」とガイドさんからのアドバイスを頂いた。ごはんを食べ終わったタイミングで、途中抜きつ抜かれつしていたオーストラリアからの40,50代のご夫婦が入ってきてちょっと会話。「またね」といって私が先に出発。お弁当はシンプルだったけど、梅と昆布の具が入っていておいしくいただけました。
本宮に着いて周囲の史跡を回っているとすっかり4時半過ぎてきて、バス停を見てもバスが1時間くらいないし、タクシーも周囲を走っていないのでネットで検索したけど本宮には無さそう。と言う事で、バス停横にある交番に入って、警官の方に事情を話すと、「湯の峯荘」に電話をしてくれて、助かっちゃいました。送迎車が来るまでの間、警官と色々と話をし、5月に熊野古道で行方不明になった方は、その後まだ見つかっていないとか、警官は那智出身だとか、子供の時遠足で短い距離だけど熊野古道歩いたとか、人が遭難すると、呼び出され、厳しい坂を仲間と探して回ることもあり、よくこんな急なところ歩くな、と感心している(迷惑しているのが本音だと思うが)そうだ。30代の好感の持てる方だった。お世話になりました。
「湯の峯荘」は、期待通りの温泉旅館でした。到着しカウンターに行くと、いかにも若い女の子が対応し、その子の後ろと横から温かいまなざしで見守る姿が。。。暗記した旅館の仕組みをその子は一生懸命に説明してくれる。途中、詰まったので、私は「頑張って」と優しく待つ。一通り説明が終わり、楽しみにしていた「日本最古の温泉」と言われている「湯の峯温泉郷」の送迎者の運転手が言うには「2番目」にお湯を出したところと言っていましたが、本当は一番だけど一番というと周囲から色々言われるので2番目としているそうです。お湯は、温度もちょうどよく、香りも良く、しかも湯の華のような白い幕がところどころに漂っていて、温泉って感じを満喫しました。
部屋に戻り夕食の時間。仲居さんは、先ほどの女の子と、サポートの40代の女性。食事を並べ、お皿の内容を説明してはじめる。お刺身のお魚名を間違えたので、優しく指摘してあげる。「すみませんでした、間違えました」ときちんと謝ってくる。また、「鍋は、私が火をつけていいの?」と聞くと、「先ほど、私がつけなくてはいけないところ、忘れてしまいました、申し訳ございません」と気持ち良く謝ってきた。「学生さん?」と聞くと「高校1年生です」とのこと、大学生ではなかった。もっと若かった。「旅館のご親族?」「3連休で忙しいとのことで、旅館に勤務している方からアルバイトを誘われたのでやりました」とのこと。素直ないい子です。最後に、フルーツを持ってきたときに、心づけを渡しました。「最近は日本の旅館でも心づけを渡す習慣がなくなったけど、少しでも役に立ててください。お勉強もがんばってね」と。部屋を出た後、外に居る他の仲居さんに説明したらしく、喜んでいる声がした。いいことしたのかな。
「古道の杜 あんちゃん」「ひととき」「湯の峯荘」では、その日着ていたものの洗濯しました。「古道の杜 あんちゃん」は500円、外干し。「ひととき」は、無料で乾燥までしてくれた。「湯の峯荘」は、50円洗剤代、洗濯機と乾燥機で合計300円。
5日目は、バスで新宮でポイント巡りし昼頃に新宮駅に来て、「徐福寿司」に入り「上にぎり」を食す。1貫1貫美味しかった。ネタは厚めで、シャリもちょうどよい甘さ酸っぱさ。満足したのだが、母親から聞いていた、「和歌山は、サバ寿司の代わりにさんま寿司が有名」を思い出し食べ損ねてしまった。バッテラ巻きのように一本姿寿司です。
電車で、新宮から宿泊先の紀伊勝浦に移動。チェックイン15時まで時間つぶし。「東洋亭」という喫茶店に入りました。最初はアイスコーヒーのみを頼みましたが、時間をつぶしきれないので、チーズケーキも頂きました。
更に港に出て海の空気を吸って、最後の宿泊先「温泉民宿 小阪屋」に到着。家族経営の民宿です。早速温泉に入り、夕食を食べ、寝る前に2回目の温泉。若い子が入っていたので声掛けすると、東京の大学院生で地球科学分野で、火山の研究をしているとのこと。15分くらい話したかな。
ラスト日20日、バスで熊野那智大社へ。途中、小学校1年生の男の子が、停留所までお母さん付き添いで、一人で乗車してきた。その子は、3停留所先の小学校前で下車したのだが、バスの前の横断歩道を渡って、バスが動き出すのを待って、丁寧に「ありがとうございました。」と大きな声を出して運転手さんにお辞儀をした。毎日していることだと思うと、すごく躾がなっているご家庭だな、と感心してしまった。
熊野那智大社などの目的地完了後は、昨日、定休日で購入できなかったお土産を買いに、再び新宮へ電車で移動。そして購入。駅に向かう商店街で、アイスコーヒーを頂く。そこのお店で、「新宮の街で、これぞ和歌山ラーメンというお店ないでしょうか?」と聞くと、20代の若い男の子が、「和歌山ラーメンで修行されてのれん分けした「速水」というお店が間違いないです。」とのことで、そこから距離はあったのですが行くことにしました。
食後は、駅まで戻り、周辺にお土産店が全くないので、観光センターに売っているお土産を少し買い、乗車する「くろしお」を待ち、新幹線で帰宅。夕食は、駅弁です。
小さく折りたためるレインコートやポンチョは、山歩き、雪山では天候の急変に備えて必要なアイテム。今回の熊野古道に向けて、ポンチョを購入して16日、17日は全く必要なく、前日の天気予報では、18日も必要ないと思っていたが、18日の朝起きてみると、しとしととそれなりに雨が降っている。出発8時までには止みそうな気配もないので、出発前に、デイバックから取り出し、広げてきてみた。「購入してきて良かった~」と思いました。ポンチョなら上半身~膝まで雨防げますし、背負っているデイバッグも覆えますので、バッグ内の衣類や食品、小物などなどが濡れる心配はありません。
が、何せ、この日の古道も急な斜面や、未舗装の路ばかりなので、歩くに従い、ポンチョ内で汗があふれ、蒸し風呂状態になり、ズボンのポケットに入れている、印刷した「熊野古道の地図」や、「熊野古道中辺路押印帳(スタンプ帳)」も汗と湿気で形がボロボロになっていきました。ジッパー付きの袋に入れておけば良かったのだけど、結構道中の出し入れが面倒なのも事実で、非常に悩ましい状況です。
雨も3時間くらいで止み、ポンチョを脱いだとたん涼しい風が感じられて最高の解放感に満たされました。ずっと涼んでいると風邪ひきそうなので、すぐ歩き始めましたが。。。。
とにかく、ストック着いたり、バランスとったり、障害物をよけたりすることから、両手ブラの状態は大切だなと感じました。なお、海外の方は、ポンチョやレインコートは着用せず薄着のまま歩かれていました。ニュージーランドのお二人は、バッグ用のカバーだけをつけられていました。
熊野古道を歩いている時には、家族、親兄弟、知り合い(逐次報告入れてとお願いされた人)に、LINEを使って、写真(3~5枚/日)や状況を共有していた。歩きながらLINEすると道からはみ出て滑落や前方の障害物にぶつかる、間違った道に入ってしまうということ十分あるので、止まってやるか、見通しの良いところに出てやるかでした。送信した後、リプライがあるとかなり元気づけられることは確実で、森なのかで心が安らぐ、孤独感が紛れることもしばしばありました。
16日は、8割は舗装された道。小さな峠や富田川側道の未舗装の場所でもほぼ通信は問題なかったのですが、17日、18日になると人里から完全に離れた森の中。道中送信し、しばらく(30分くらい)歩いたところで確認しても未送信状態で、更に1時間くらい歩いた後でも未送信の繰り返し。18日は特に、出発時点と本宮到着の1、2時間くらい前に送信出来ただけだった。受信する側も、「今日は、あまり進捗が来ないな、大丈夫かな」と逆に心配したそうで、それはそれでご迷惑を掛けてしまった。
電波の届きにくい場所は、日常そこそこ体験していますが、数時間全く通信圏外という体験も日本ではなかなかに貴重な体験でした。
熊野古道初日の街中と富田川流域を歩いた16日、普段週2回のSUPサーフィンをしていてうねりに対してバランスを取る下半身や、パドルで漕ぐ上半身はそれなりに頻度良く動かしているつもりですが、急な上り下りは多少あるものの単純な歩行にも関わらず28.4㎞、7時間半歩き続けると、かなり来ました。
目的地、滝尻王子(宿泊場所はその横にある)まで着くと、チェックインまで時間があるので、荷物を置かせてもらい、靴を脱いで、風に当たりながら、ひたすら、臀部、腿、ふくらはぎ、脛、足の裏のマッサージを続けました。1時間くらい。部屋に案内され風呂に入った後も、何かしらマッサージを続け、とにかく、歩行が辛い状況。寝る前に「ボルタレン」を塗りました。寝ている間も、痛みで目が覚めました。GARMINの睡眠スコアでも睡眠時間7時間半にも関わらず77点で悪いという判定で「深い睡眠が不十分」というコメント。GARMIN良くできている。
17日の朝、実は、足の痛みが無くはないが、意外と痛みが少なく軽い感じでした。この日は、17.3㎞、7時間11分。激しいアップダウンが多く、未舗装の路がほとんどなので、距離は短いですが、しっかり7時間以上歩いています。宿に着くと長めにお風呂に浸かり、昨晩同様、全体のマッサージ。昨日ほど痛くないのもあり、ちょっと油断してマッサージ時間は短めで就寝。途中で痛さで目が覚め、「ボルタレン」を慌てて塗る。約6時間半でスコア68点。「理想よりも短く十分な深い睡眠」との診断。親指を除く足先の感覚が無くて神経が鈍っている。下りで靴先でストレスを受け続けたせいだと思う。豆や大きな腫れはないのが幸いです。
18日は、雨の中、結構足に疲れてきているが、昨日ほどではないが、相変わらず、厳しいアップダウンの場所はあるしでここは我慢し、ごまかしながら歩くことを続ける。特に左足の側面と足先は右に比べてストレスを感じているなあと思いながら、ここもだましだまし歩き続ける。後半は、本宮に向けて急な下り坂中心になりストレスがより高まる。ストックで支えながら足への負担軽減です。宿到着時には、昨日以上に「もう歩きたくない」という気持ちいっぱい。予定通り、バスで新宮まで行くことを強く決意。温泉に浸かり、もちろんマッサージをしっかりやって、6時間半睡眠、スコア69点、「理想よりも短く不安定な睡眠」の判断。確かに、睡眠はとれた気がする。が、臀部と足全体が痛い。
19日は、バス移動で、新宮の熊野速玉神社の他、街中の王子巡りですが、「神倉神社」で100m石階段!これには、参った。ここにきて絶望的な永遠と続く石階段。その後も、街中の気温は、30度越えで、森の中よりも結構応える。那智まで歩くことも想定していたが、新宮の街から出る手前の「浜王子」で駅に引き返しました。この日も勝浦の温泉に浸かり、マッサージをするけど、全体が痛くて困ってしまう。5時間50分、スコア67点、「理想よりも短く不安定な睡眠」深い睡眠がなさすぎる。
最終日20日は、バスで熊野那智大社まで行き、そこから、三重塔、那智滝、大門坂を歩き、バスで那智駅まで戻り、昨日行った新宮まで戻ってお土産購入です。昨日ほどではないですが、なかなかに初動が辛い。臀部と腿の裏側(ハムストリング)の筋肉痛、足先の痺れが残っています。ちょっと歩くのに違和感がありました。自宅に戻っての睡眠、5時間半、スコア65、理想よりも短くレム睡眠が不十分という判断でした。
21日は会社に出勤。足先の痺れは収まった気がするが、臀部と腿の裏側の筋肉痛は残っているようです。ちょっと辛いけど、生活に支障はありません。
紀伊田辺での下車を急遽取りやめ、白浜まで足を延ばすにしました。時間や交通の便の都合上、あまり行ったり来たりはできないので海岸沿いの湯崎で唯一残っている「崎の湯温泉」に行くことにしました。気温31度の猛暑の中の温泉なので、金曜日と言うこともあるのか、ほぼ誰もいませんでした。途中外国の方一人、日本の方一人程度。海を眺めながらしょっぱい温泉を楽しみました。温泉って普通、お湯につかって火照った体を、半身浴するために、周囲の岩などに腰掛けるのだけど、その岩が気温31度の下とても暑くて。。。。とても腰掛けられず、お湯につかっている方が気持ちいい状況。十分堪能して上がりました。
白良浜も眺められます。帰りに白良浜に寄ろうと思ったのですが、やはりバスの便が厳しく、昼ご飯が終わって2分後にバスが来るあわただしさで白浜を後にしました。
今回なかなか厳しかったのは、電車とバスの時間調整です。私の地元も、列車は単線で30分に1本くらいなので似たようなものなのですが、バスも観光地の割に本数が少なくちょっと時間を無理して調整しないと効率よく回れませんでした。
新大阪から白浜までは、「くろしお」オーシャンアロー車両 283系。アナウンスによると、車両が急遽変更されたため、予約席が無い場合があるので、その場合は、車掌に相談してください、とのことでした。まあ席は十分あります。乗車客が少なく、1車両に自分含めて2~3人しかいないときもありました。基本、山の中を走っていくのですが、紀伊田辺近くなると海岸沿いに出て、車掌のアナウンスが入り、徐行運転になりました。
帰りの新宮から新大阪までは、「パンダくろしお」Smileアドベンチャートレイン 287系。指定席に行くと、同世代の女性が、ドカッと背もたれを倒して眠っているので、周囲はガラガラなので起こすのもなんだな、と思い、私は別の席に座って出発。紀伊勝浦過ぎに、私の席に、乗客がやって来たので、私の席に居た女性に、「ここ私の席なのですが。。。」というと、アッサリ通路向かいの席に移動され、そこで寝始めた。まあ自分の席が確保できたのでいいのですが、「この方、全席指定なのに特急券持っているのかな?」と疑念を抱くようになった。その後、車掌がやってきて、話をしている。どうやら、その女性は、この列車の前に、上り下りを間違えて乗ったために、乗りなおしたようで、不足料金を払っていた。色々事情があるのですね。
熊野古道道中は荷物になるのでお土産購入はしませんでした。
職場で、新宮の「香梅堂」の鈴カステラがおすすめですと言われていたので、新宮には、火曜に入ったのですが、火曜は定休日。リベンジで、翌日水曜に急遽再び新宮に入って、「香梅堂」の鈴焼(カステラ)を買い求めました。多くの人が、一度は食べたことがあるのではないでしょうか。この鈴焼は、お土産屋では売っていないらしく、このお店に足を運ばないと手に入らないそうです。
その他、リベンジ土産としては、徐福寿司の「さんまの姿寿司」です。前日に食べ損ねたので、ラーメンに重ねて食べようかと思っていたのですが、徐福寿司店の2,3件となりに観光センターがあり、そこにお土産用が売っていたので、それを購入。
その他は、「北山村 じゃばらぽん酢」と熊野本宮大社、那智大社のお守りです。
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