ジョン・マン(山本一力著)


山本一力氏が生まれ故郷の英雄ジョン万次郎を描く。

17年昔、仕事で世界初のイーインク(e-ink)パネルを使った「リブリエ」という電子書籍の新規ビジネスに挑戦したことがあった。この「リブリエ」用の電子書籍サイト「パブリッシングリンク」も仲間で立ち上げた。今ではもう過去のものになったが、当時の仲間数名とは今でも飲んだりしている。

その「リブリエ」端末と「パブリッシングリンク」サービスの発表会は、出版会も含めた異色な盛り上がりを見せた。その「パブリッシングリンク」で、山本一力氏の作品「一本桜」を扱うということで高い関心を集めた。

当時、私は歴史小説系はあまり読んでいなかったので、山本一力氏のことはほぼ存じ上げていなかった。しかし、歴史小説を読むようになって、山本氏の作品の楽しさを今更ながらに感じているのである。

山本氏は、高知県生まれで、世田谷の学校を卒業している。そういうわけで、高知で著名な歴史の人物を最近執筆している。今回紹介するのは、「ジョン・マン」である。そう、ジョン万次郎のアメリカでの呼び名である。

現在文庫本で、発刊されているのは、

  • 1.波濤編
  • 2.大洋編
  • 3.望郷編
  • 4.青雲編
  • 5.立志編

である。

波濤編では、ホイットフィールド船長が、居酒屋食堂「眺望亭」でチーズをツマミにウィスキーを飲み、仲間とこれから乗る捕鯨船ジョン・ハラウンド号の話をする。1830年頃から急激に捕鯨船が増え、1837年には、クジラは明らかに減ってきている時期である。もちろん当時鯨の油は灯火用が主な使い道。価格は高騰し、一儲けに持ってこいの仕事である。漁場は、大西洋から太平洋に移る。出帆を迎え、ハラウンド号はハワイに向かう。

一方、高知中ノ浜には12歳の万次郎がいる、鯨組から声が掛かる遠目が効く真鍮色の目を買われている。万次郎は、年上の仲間と一緒に、かしき(炊事役)として乗船して漁に出る。が、嵐に遭い、舵が取れないまま漂流され鳥島にたどり着く。

大洋編では、万次郎たちは鳥島でアホウドリの卵を取ったりしながら生死を彷徨う。そこに、ハラウンド号が通りかかり、無事保護され、捕鯨船上での生活が始まる。万次郎は、遠目が効くことが重宝される。言葉が全く通じないので、身振りや絵で会話をし、積極的に他の船員の中に溶け込んでいく。そしてハワイでの生活が始まる。

望郷編では、仲間のそれぞれの意思を確認し、ジョン・マンは、皆と別れ、一人ハラウンド号に残り、仲間に対して、「お金を貯めて、皆を迎えに来る。一緒に日本に帰ろう」と約束する。ハラウンド号は、その後、日本高知近海で捕鯨を行う。そこに、室戸岬の捕鯨組が同じ鯨の群れを追い、お互いの捕鯨の技を見る。ジョン・マンも、そこで海に飛び込んで行けば、救助されるのだが、ハワイに残した仲間のためにハラウンド号に残ることを、生き別れた母親を常に思いつつも決心する。そして、2年半の航海を経て、ニューベッドフォードに立つ。

青雲編では、ジョン・マンは、船長の家族として生活をする。そして、学校に通い仲間を作る。そして、航海士になるための養成学校、バートレット・アカデミーの試験に合格し通うことになる。

立志編では、すっかりアメリカでの生活に慣れる。が、船長は、新たな出航で留守をする。ジョン・マンも一緒と考えたが、そこは船長が許さず、勉学に励むことを良しとして、学校に通いながら樽職人(鯨油を貯めるため)の技術を身に付けるために厳しい人の元に住み込みで働く決心をする。そこには、ブラジルから来た同じ世代の男の子が働いていて、意気投合する。

という流れです。山本一力氏の作品は、情景と会話の描写が生き生きしているので、すごくイメージしやすく親しみやすいです。ジョン・マンと一緒に、異国の地での生活を体験できるかも。

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