歴史小説には、戦国時代、江戸末期~明治維新の武将、人物が扱われることが多い。私のペースで、様々な歴史小説を読んできたが、小説としての人物が非常に面白く小説として満足することは頻繁にある。しかし、人物に惚れることはなかなか無い。この「上杉鷹山」は、人間的に非常に魅力を感じ、自分が普段そういう立ち回りが出来たら素敵だろうなとつくづく思うのである。
「上杉鷹山(治憲)」(1751年~1822年:江戸中期)は、九州の小鍋という小藩から、米沢藩名門上杉家の9代藩主として養子入りした人物である。上杉家は謙信を先祖にもち名門と言えども、この時代、歴代藩主の悪政で台所事情はひどいもので自滅か藩政返上かの瀬戸際に立たされているという状態だった。
彼は、財政再建のために藩政改革に乗り出すが、一人ではできないため意図を十分汲んだ協力が必要と考えたが、何せ養子でやってきた人物で信頼できる仲間がいない。重臣は、悪政体制の気分のままで藩の状況を分かってもいないし、良くしようとも思わない。
そこで考えたのが、重臣から嫌われている家来たち。実は彼らは、今の藩のやり方に異を唱え、重職から外されている身がほとんど。彼らとともに、藩政改革に乗り出す。まず、今の体制不満は、ぐっとこらえて目をつぶり、「私たちの生活の資を生み出す人々」を大切に思うことから始めることを話し、所在の江戸米沢藩(参勤交代で江戸に居る)からわざわざ本国米沢にお伺いを立てる流れを止めること始める。これに対して、仲間になった家来は、「御屋形様にとって良くない」と心配するが、時間がもったいない待ってられないと決意を表明し、まず身近な江戸米沢藩の改革を始める。改革とは、以下の「壁」を壊すことにあると考えた。
特に、「心の壁」を壊すために、次のことを実行する。①情報はすべて共有する ②職場での討論を活発にする ③その合意を尊重する ④現場を重視する ⑤城中(藩庁)に、愛と信頼の念を回復する
小説なので、色々なハプニングが起きたりして、面白いのだが、彼がすごいのは、自分や仲間で立てた再建案を自ら実践し、周囲を本気モードだと思わせていくところだ。米沢は、今でも鯉の養殖で有名だが、この事業は、彼が考え出した案だったりする。とにかく、重臣からはあからさまに嫌われ、邪魔、嫌がらせをされるが、悩みながらそれを乗り越えていく。協力者も、自分で出来ることがないか考え、小さなことから始め輪を広げていく。
そして、最後には、藩全体がうるおい、農民、町民の顔にも活気が出てくる、といった話である。「日本人の美しい心」を持った人物である。著者である童門冬二は、そういった人物を小説に収めたいと考え、西郷、鷹山、尊徳、中江藤樹を書いている。
上杉鷹山が、次の藩主 治広に残した「人君の心得」3条がある。
また残した名言がある、「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」。(やると決めたら最後までやり通さなければ、やらなかったと同じことである。という意味だろう)現在の経営、イノベーションの神髄である。