父が娘に語る経済の話(ヤニス・バルファキス著)後編


ヤニス・バルファキス氏の「父が娘に語る経済の話」非常に分かりやすく、為になる面白い本です。

父が娘に語る経済の話(ヤニス・バルファキス著)前編に引き続き後編。

その新たな変革が、デジタル化と人工知能による機械化と自動化になる。ここで様々な例として作品の紹介。「フランケンシュタイン」「スタートレック」「おいしいおかゆ」「魔法使いの弟子」「ブレードランナー」「ターミネーター」「マトリックス」。特に「マトリックス」は、機械が人間を乗っ取った世界。しかし人間を根絶やしにしない。その理由は、機械は生きるために人間の生命エネルギーを必要としているから。この時、すでに人間は、自分たちが機械に搾取されていることさえ気づいていない世界。(もう一度、「マトリックス」見たくなりました)金融危機が進むと、機械と人が余り始める。多くの企業が倒産し、残った企業は、価格を上げることができるが、物を買う労働者はお金がなく、経済は回らない。2008年の経済危機により、人間の労働力に大きな見直しが入った。今でも発展途上国では、「モダン・タイムス」の世界がある一方、先進国は、ロボットが製造管理、発明、設計も管理する世界を目指している。その先は、「マトリックス」の世界、これは人間が求めている世界なのか?「マトリックス」の世界に「交換価値」は存在しない。価値を判断する人間がいないからだ。「マトリックス」は、最終的に人間は機械に対峙していく。経済危機は、回復と交互に繰り返している。

著名な経済学者ケインズは、「人間はテクノロジーの可能性を余すところなく了利用する一方で、人生や人間らしさを破壊せず、一握りの人たちの奴隷になることもない社会を実現する」ことが必要としている。

第二次世界大戦中、捕虜で収監されたラドフォードという経済学者は、収容所の中での経済について著した。赤十字社から提供される食べ物、タバコ、コーヒー、紅茶、チョコレートの物資が個人に同じ分量が配給された。フランス人はコーヒーが好きで、イギリス人は紅茶が好き。この嗜好の違いを利用して「サヤ」を利用した人がいた。ある時、双方で同様の取引が複数人で始まると「サヤ」は取れなくなってしまう。それが、あらゆる物に広がり「均衡」がうまれた。銀行や証券取引所のトレーディングのようなことが行われた。次第に、タバコが「交換価値」を保管する貨幣のような取引が始まった。そこに、リスクと儲けが発生した。タバコは配給される多い時、少ない時があり、吸いたい人は頻繁に吸い、タバコがなくなってしまう。このタバコの総量が多い、少ないで価値が変わった。爆撃が近くで起きると、タバコを吸う人が増え、総量が急激に減る。そうすると「デフレ」になる。平穏なときは総量が増え「インフレ」になる。終戦を察知するとタバコは吸いつくされ、借金していた人も返済しなくなり、ついに経済は崩壊する。貨幣にしてもタバコにしても「信頼」が経済を支える。

人間は、地球という環境に寄生しているウィルスである。そして、環境破壊を加速させている。以前は、山火事、水害などの災害が起きても「交換価値」がなかったが、現在は、それらすべてが「交換価値」に結びついている。そのため、山火事、水害などが起きると市場は活気付く。つまり、破壊、被害が起きることで利益が得られる仕組みが出来ている。「経験価値」と「交換価値」が上回る世の中を、昔のように「経験価値」を大切にしないと、地球と人類を救うことが出来なくなる。すべtの人が、地球の資源に責任を持つ世の中、つまり「すべての民主化」こそが、解決策であると、著者はいう。民主化は、決して良い形態ではないが、他の形態が更に悪い。民主主義は、人々に平等に1票与えられる。金持ちは、なぜ地球にとっていいことをしないのか?お金持ちで成り立つ株主の意見が尊重される民営企業は、「交換価値」を大切にし利益を求めるからだ。

自分の欲望を苦痛なく与えられる楽しいだけの仮想現実は幸せなのか?「満足したブタより不満な人間の方ほうがいい。満足なばかより不満なソクラテスのほうがいい。もしブタなりばかなりがそう思わないとしたら、それは彼らには自分オのことしか見えていないからだ。」(ジョン・ステュワート・ミル)本物の幸福を味わえる可能性のある人生とは、何者かになるプロセスだ。満足と不満がないと人は成長できないし、本物の幸福を得ることができない。いまの経済は、人間の欲する目標を手に入れるのに適していないどころか、そもそも手の届かない目標を設定したシステムである。

市場社会が台頭すると、産業革命を可能にした科学の出現により、宗教は、単なる神の秩序の信仰に成り下がってしまった。支配者が必要がしているのは、自分たちの正当性を裏付ける筋書きが必要で、経済学者は数学的な手法、理論、公式を駆使して、市場社会が究極の自然秩序だとした。「神の見えざる手」である。新しい宗教が、経済学というわけである。経済を学者に任せてはいけない、自分の身の回りで起きていることを、外から見る習慣を持ち自ら判断することが大切で、そこから幸福を見つけることができる。

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