父が娘に語る経済の話(ヤニス・バルファキス著)前編


ヤニス・バルファキス氏の「父が娘に語る経済の話」非常に分かりやすく、為になる面白い本です。

「経済の話」となると、何か小難しい気になる。いつ何時でも経済予測の話がされているが、その場では、もっともらしい理論で話すが、それが必ずしも予測通りにはならないことの方が多い。

株の値動きも、市場で起きていることは必ずしもポジティブではないにも関わらず、若干下げた後、反発して最高値更新値を出したり、本当に先は読めない。今は株をやっていないので経済指標の1つとして数字を見ているが、過去株をやっているとき、「バブル崩壊」「9.11」「リーマンショック」を体験しているだけに、その時の心境は一喜一憂だったのは間違いない。

こんな「経済の話」を、自分の娘に説明するようにかみ砕いて説明しているのがこの本である。1回読んでみたが、それでもイマイチ分からない。近いうちにもう一回読んでみる価値があるので、読む予定である。

内容としては、娘が著者に聞いた、世の中の「経済格差」は何故こんなに起きていて、無くさない人間は馬鹿なの?に対して納得いく説明をしていこうというもの。

「なぜ、アボリジニがイギリスを侵略しなかったのか」という歴史の問いかけ、「なぜ、世界には貧しい人がいる一方で、途方もなく金持ちがいるのか」「なぜ、人間は地球を破壊してしまうのか」すべて、能力、性格の問題でなく「経済」と「市場」で語ることができる。

「市場」は、そこに人がいると存在する。「経済」は、人類が農耕を発明したことで「余剰」が生まれたことで発生した。

この「余剰」から、文字、債務、通貨、国家、官僚制、軍隊、宗教、テクノロジー、戦争が生まれる。つまり、いかにこの「余剰」を増やし守るかが人類の生きる道になった。

つまり、アボリジニの住むオーストラリアは、食べ物に恵まれていたため「余剰」から生まれる文字の文化やそれに続く文化が起きなかった。(音楽、絵は文化として発達した)

1万2000年前の農業改革での余剰に対しての貸し借り「借用証書」が、債務、通貨の始まりである。(貨幣の始まりは、実は仮想通貨だった!)大切なのは、「信用」。この「信用」は、支配者、王様、国家、政府の保証が必要だった。それら支配者、王様、国家、政府を守るためには、官僚、軍隊が必要となる。こういう社会になると地位の高いところに「余剰」が集まる。そこに大きな貧富の差が生まれるため、それをはぐらかすために「支配者だけが国を支配する権利を持っている」と固く信じ込ませる、今の世界が最高だという考えを植え付けるために作られた組織、保護された組織なのだ。

農耕の効率をよくするためにテクノロジーは発達し、その余剰によってピラミッドなどの壮大な建築物が出来た。農地を増やすために、昔から細菌やウィルスが兵器として使われ先住民を殺してきた。

「経済」を生んだ農耕革命は、南北ではなく気候変動が小さい東西に広がった。それが、今世の中で発生している地域による貧富の格差の原因。そこから、経済に強い国が、弱い国から搾取を行い、格差が広がっている。

次に、「交換価値」と「経験価値」の話。対極にある2つの言葉が、最近、すべて「交換価値」に置き換えられる傾向にある。かつて家庭内ですべてを賄い「商品」は、ほぼ存在しなかった。しかし、ここ200~300年、「商品」が溢れ、「交換価値」が「経験価値」を上回るようになってきた。自分の価値でさえ「交換価値」と言える「市場価値」で測るようになってきた。世の中に大転換が起きたのはヨーロッパでの造船の発達、そして大航海時代。ヨーロッパの「羊毛」が中国で「絹」になり、日本で「刀」になり、インドで「香辛料」になって、莫大な利益を得る仕組みができた。従来の領主は、自分たちより社会階層の低い船乗りが莫大な利益を生むことに憤慨、彼らと手組み、「市場価値」がある「羊」を育てることに決め農奴を締め出した。これが、教科書で習ったイギリスの「囲い込み」。従来の「市場nある社会」から「市場社会」を作り出し、労働と土地を「商品」にした。領主は、「土地」を貸し出し安定した賃料をもらい、農奴だった人たちは「羊毛」をいかに高く売るかに気を遣うようになる。多くの農奴は職に溢れ、産業革命で、工場で働くことになる。今まで、苦悶していたが代々同じ立場で職にありつけた時代から、自由になった代わりに自分で職を探し価値の高くなる取引先を見付ける苦悩が始まった。ここから、働かない人、安い賃金で働かされる人、大きな利益を得る人という「格差」が生まれた。

土地と労働が商品になったことで、生産後に余剰を分配ではなく、生産前に分配が始まった。そう、元農奴たちは、起業する際に、借金をし、将来の収入を得ようとした。こうした話を、「フォースタス博士の悲劇」の話と重ねる。封建時代、領地、民衆、国王、外国からの搾取で富を膨らませたが、企業は、利益追求を始めた。そして、企業は、安い労働賃金で最大の利益を得るためにテクノロジーに投資をするようになる。それは、借金から生まれる。こうした時代背景えを巧みに著したのがゲーテの「ファウスト」。更に、この「利子付きの借金」を神の計画としたのが、プロテスタントだ。これを逆手に表現したのが「クリスマス・キャロル」という作品。

現代の経済は、循環が必要。1930年代世界の大恐慌が起きる。「怒りの葡萄」が当時の情勢を著した作品。借金の元となるお金は、金融機関の銀行から生まれる。未来の利益に投資し、その借金は莫大になる。あるとき、その借金が返せないことに気づき、循環が止まり、逆回転が始まる。この経済危機を救うのが国の「中央銀行」。どこにもないお金を勝手に作ることができる。国、政府が関わって、ここに「国債」という公的債務が関係する。金持ちも自分たちの身を守るために国の警察、軍が必要。持ちつ持たれつの関係が生まれる。

起業家が企業を維持、利益を拡大するために、いくら借金、投資したらいいかの考えが「マネー・マーケット」と「労働市場」の複雑な関係がある。ソポクレスの戯曲「オイディプス王」を例えとしている。ここに潜む悪魔が「人間らしさ」。

続きは、後編へ。(2019年11月25日から)

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